コンコンだコン豊川稲荷へ 壱 「懐かしき豊川さん」
名古屋での同窓会集まりの翌日は、
幼少の頃よく通った「豊川稲荷」さんへ。
昔はクルマで行ったりしてたと思うんだけど、
名鉄の「豊川稲荷 お参りきっぷ」ってので。
特別車両にて豊川線乗り換えの「国府(こう)」へ。
豊川稲荷は曹洞宗の寺院なのでして、
正式には「豐川閣 妙嚴寺」で、
鎮守として祀られた
正式には「豐川閣 妙嚴寺」で、
鎮守として祀られた
「豊川枳尼真天」の通称なのです。
総門は
1884年(明治17)に改築されたもの。
門扉は如輪目(如鱗目ともいう)の
ケヤキ一枚板の逸品です。
装飾彫刻もなかなかのものでした。
「鎮守堂」
600年前の
室町時代に開創されたそうで、
今川義元、織田信長、
豊臣秀吉、渡辺崋山などの
武人、文人達の信仰を集めました。
「山門」
1536年(天文5)今川義元寄進の建物。
境内で一番古いが1792年(寛政5)、
さらに1964年(昭和29)に大修理されたもの。
虎の彫刻もありましたよ。
京都で西陣織を生業としていた祖父母が
信仰をしておりまして、
年に1度はかならずお参りに来ていました。
(JR東海の初旅キャンペーンより)
本殿でのご祈祷はこんな感じでして、
般若心経と観音経を唱えて、 本殿でのご祈祷はこんな感じでして、
大般若経を一瞬で…
子どもながらエライ合理的やけど、
エエんかいなと思っていました。
赤いおおきな提灯、
おそらく新調されていると思いますが、
当時の記憶が蘇ってきました。
金網ごしながらも虎次郎の好物、
装飾彫刻も堪能してきました。
「景雲門」
もとは奥の院拝殿であった
諏訪ノ和四郎の彫刻がみえる
1858年(安政5年)創建の門。
1858年(安政5年)創建の門。
「三重塔」
通称本堂の「法堂(ほっとう)」奕堂禅師(えきどうぜんし)の揮毫の扁額には、
「妙厳禅寺(みょうごんぜんじ)」とあります。
ゆく年くる年でも知られる「鐘楼堂」。
1937年(昭和12)の豊川稲荷大本殿の落慶を
記念して近代の建造物ながらも、
総欅造りの絶品として名高いもの。
祖母と来たときのこと…
本堂での祈祷のあとには、
からなず御膳をいただきました。
「なんでこんな
ご飯食べさせてくれるんやろ」
と思っていました。
(名鉄の 2015年豊川キャンペーンより)
その後祖母に聞いた話によると、
「本殿のお座布団は一時期、
すべてウチが納めさせてもろたものを
使ってもらってた」のやと。
祖母の姿を見かけると、
ここからお寺の方が急いで
駆け寄ってこられました。
いろんな想い出がつまった場所です。
次回は是非にとも、
ご祈祷してもらおうと思います。