なにわの末社めぐり 若永神社
大阪城内にある「豊國神社」。
「ほうこくじんじゃ」と読みます。
1873年(明治6)に
京都の阿弥院峯墓前を本社として
社殿を造営されたのに続き、
いまは中央公会堂のあたりに、
1879年(明治12)11月に
別社として創立されたのがルーツ。
開運の茅の輪の奥に佇むのは...
そう太閤秀吉さん。
2007年4月に
戦時中の金属供出されて以来、
64年ぶりに復活したものです。
旧像の写真を元に大きさや姿を踏襲し、
学問的な時代考証により
一部修正されたものです。
現在の大阪城は徳川時代の
秀吉さんのころの足跡はほとんど地下深くに。
ですから縁のある地が神域となったのは、
1961年(昭和36)のことなのだそうです。
社殿もコンクリート製です。
境内のなかにある末社があるのがここ。
遷座されたのは同じ1961年ですがね。
「若永神社(わかながじんじゃ)」。
御祭神は宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)、
豊臣秀吉公の御用商人であった
豊臣秀吉公の御用商人であった
「淀屋辰五郎」の鎮守の社なのです。
火難除けとして鎮座された「稲荷神社」で、
火難除けとして鎮座された「稲荷神社」で、
北浜高麗橋以西の商家たちに、
篤い信仰を受けいまなお、
淀屋の末裔の方々に大切にされています。
奥の社殿は相殿ですが...
中之島字山崎の鼻の藩蔵屋敷に祀られていた
元白玉稲荷神社の「白玉神社」。
そして天満七夕池の「七夕神社」も...
豊臣秀吉公の「秀」と
もとは「石山」と言われていた
大坂城の地名の「石」で「秀石庭」。
この名が付けられています。
秀吉公のゆかりの千成瓢箪の上で、
撮影してしまったのがザンネンです...