金しゃち 四百年

















徳川家康をはじめとした
大名道具がずらりとならぶ「徳川美術館」
あの国宝「源氏物語絵巻」も所蔵する。

















玄関をはいると
信長、秀吉、家康の顔出しがならぶ。

家康の顔出しは「三方ヶ原の戦い」で、
歴史的大惨敗であり唯一の敗戦の後、
浜松城に戻った家康が苦渋の表情を描かせた。
「顰像(しかみ像)」が置かれてるのがオモシロい。

1610年(慶長15年)閏二月に始められ、
ちょうど四百年の節目の名古屋開府。
「大名古屋城展」がおこなわれていました。















あの金鯱は1945年3月に
米軍の名古屋城空爆を懸念して、
天守からおろし地中に埋めるよう
手はずを整えていたのですが、
引き下ろしの作業中に
焼夷弾攻撃に遭い天守は炎上、
猛火により鯱は溶解したのだそうです。

焼け跡に残ったのは金の固まりで、
戦後進駐軍に接収され、
後に名古屋市に返還されたそうです。















こちらが 金鯱の鱗の破片
進駐軍の接収からひた隠しされ、
厳重に保管されていたものです。






















月夜に浮かぶ名古屋城の金鯱。
二代 歌川広重
「諸国名所百景 尾州名古屋真景」っての。
安政6年(1859年)12月に描かれた。
那珂川町馬頭広重美術館 に所蔵されている。
天守にかぶりついているようで、
愛嬌のある浮世絵も展示されていました。


「天下様でもかなわぬものは
 金の鯱ほこ あまざらし」


東海道を行き来する旅人が、
豪華な金鯱を雨ざらしにしている
尾張の殿様の威光に
感激した歌が残っています。











徳川慶勝(尾張家14代)撮影
 名古屋城金鯱 





それだけに尾張の人は
名古屋城をなんとか守りたかったんでしょうね。
いま本丸御殿を復活させようとガンバってはります。

名古屋城本丸御殿の復元に向けての
シンボルマークってのも登場しています。















金シャチと本丸御殿の屋根

イメージしてってなんだけど、
胡麻油であげたエビフライみたい。
なんかウマそ。。

ところであの初代金鯱の燃えがら。。。
1967年に6.6キログラムの金塊として
大蔵省から名古屋市に返還され、
実物の20分の1の金鯱と
尾張藩の略章でもあり市章になった
「丸に八の字」の金の茶釜に姿を変えています。
茶釜には環の ところに小さな鯱が見えます。









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