龍虎の庭?「徳川園」
















久しぶりにおとずれた
「徳川美術館」
に隣接する「徳川園」

もともとは江戸時代初期の1694年に、
尾張藩の二代目藩主であった 徳川光友
建てた「大曽根別邸」が元になっている。

あの龍の伏魔殿があるJR最寄駅「大曽根」に
ほど近いところにあるのが池泉回遊式の日本庭園。


虎次郎が愛するタイガースが1992年、
燕軍とシーズン終盤までペナントを競った。

ナゴヤ球場観戦をもくろんで

名古屋の地に立ち寄った時には、
日本庭園なんか??ちょっと記憶にない。
















隠居所であったの敷地は当初は約13万坪、
光友の没後は尾張藩家老職に譲られたのだそうです。
















園に入ると名古屋開府四百年キャラの
はち丸」の庭園灯が迎える。
窓口で 名古屋城徳川美術館徳川園
1500円で見て回れる
はち丸手形を勧められた・・・・

「12月まで有効だから
 また名古屋城来るでしょ」と
「9月には名古屋来ます」って虎次郎。




















9月のナゴドのチケをキープしているので、
思わずそう答えてしまったけど。


















ホオズキの鉢植えがならぶ
虎仙橋」
「虎の尾を踏んではいけない」ことから
「川に足を踏み入れてはいけない」ことを
連想させている渓谷「虎の尾」にかかる。

















「龍虎」
があちこちに鏤められている庭園、
この地を営んだ第二代 徳川光友 の諡號は「瑞龍院」
1931年に邸宅と庭園を名古屋市に寄付したのが、
十九代 徳川義親マレーで虎狩りを行ったのに因んで、
「虎狩りの侯爵」と呼ばれていたそうだ。

虎は狩られるって・・・・トホホ。















庭園には二つの滝があるが、
その一つが「龍門の瀧」
鯉が滝を登って龍になったという
登竜門の形式が再現されたもの。

この滝の石は 徳川光友 が江戸の下屋敷に建てた
戸山山荘から運んで来たものらしい。
現在新宿の戸山公園となっているところに、
ミニ東海道を再現して殿様遊びをしていたとか。
















海に見立てた水面の周りに見どころを配する
「龍仙湖」の奥にかかるのが「西湖堤」で、
中国杭州の景勝地 西湖の湖面を
直線的に分ける堤防を縮景したもので、
広島県の縮景園のそれとよく似ている。







広島「縮景園」



















「虎の尾」
を奥入ると「大曽根の瀧」
三段の滝にはそれぞれ水しぶきに個性があり、
瀧を囲むモミジが映える紅葉の時季は、
また違った印象を見せるんでしょうね。

1945年の大空襲で大部分が焼失されて、
2004年の開園で歴史的には浅い。
かつて虎次郎が訪れたときは、
雑木林が囲むフツーの公園だったらしい。

ちなみに1992年のナゴヤ遠征は、
雨天中止をこの「徳川園」周辺で確認。
先輩に栄の近くで待ち合わせ。。
「ミソカツ」を奢ってもらって帰路についた。
結局ナゴヤ球場には辿り着かなかった。。

翌日のゲーム 今中が何故か張り切って。。
甲子園に戻った時には手遅れだった。。。
あの雨天中止が分水嶺やったな〜としみじみ。


園にあった句碑・・・
「うつりつつ
 静かに色を
 かえていく
 豊旗雲の 
 空のたなびき」






秋の虎は竜をねじ伏せ、

空に豊旗雲を翻せねばなるまい。














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