タイムマシーンでやって来た? ペプシ館 のユニフォーム。 赤色のタートルネックのミニのワンピ、 白と黒のライン、太い黒色の ビニールのベルトが重厚さを放つ。 帽子というより 宇宙服のヘルメット を 思わせるフード… 黒色のロングブーツに 黒色のビニールショルダーバック。 斬新なデザインは コシノジュンコ さん。 もともとは若者たちの ディスコにする予定だった とか。 観客には1 人 1 人に ハンドセットが渡され、 体験する世界への案内、 動きにつれて色々な音が 聞こえてくる仕組み、 現代の 疑似体験 にも通じています。 ハンドセットは床の音響装置である ループ・コイルと連動し、 セクションに分かれたどの床でも、 床の感触に合わせて音が変化しました。 ペプシ館のテーマは" 垣根なき世界 "、 観客のハンドセットには、 フラッシュ・ライトが装着されていて、 点滅させることで巨大な半球体鏡に 自分の姿が瞬くのを眺めるというもの。 見せる、見せられるの 関係をなくした体験型パビリオン。 パビリオンの外観も異空間から到来、 立体トラスに三角形パネルが 三角錐状に組みった純白 。 ドーム外側の 2500 本のノズルから、 絶え間なく人工霧を発生 させた。 風のある日には雲となってたなびき、 夜はキセノンランプから発した 白い光りのビームに囲まれ、 幻想的な情緒を醸し出していたとか。 1970~90年台「コーラ戦争」 … コカ・コーラとペプシ・コーラの間で 行われた広告戦略がありました。 1970年大阪万博、コカ・コーラ館は? 。 コーラの発明者はジョージア州の 薬剤師 ジョン・ペンバートン です。 1886年に発売の コカ・コーラ が世界初、 ペプシ・コーラ は遅れること8年、 1894年にノースカロライナ州の 薬剤師ケイレブ・ブラッドハムが 発明したとされています。 どうしてもトップシェアである コカ・コーラに追いつくことが できなかったペプシが打ち出したのが、 広告戦略 「ペプシチャレンジ」 、 大阪万博での企業館もその一つでした。 では コカ・コーラ は? アメリカン・パーク と呼ばれる 13 の建物と二つの広場からできた 合同展示館に出展していました。 24時間体制で瓶のコカ・コーラを販売、 会期中に専用の営業所を設け、 販売総数は3,300万余り...