天神さんと「梅」そして「鶏」
「天神さんと梅」
大阪天満宮の「束帯天神像」には、
梅の枝を持つ姿が描かれるものがあります。
梅とのつながりは道真5歳の時、
庭に咲く紅梅を見て花びらで自分の頬を飾りたいと、
「美しや紅の色なる梅の花
あこが顔にもつけたくぞある」
と詠んだと伝わります。
天満宮の神紋は「梅」 そして…
「東風吹かば匂いおこせよ梅の花
主なしとて春を忘るな」
の飛梅伝説につながります。
戦国時代から江戸初期にかけて、
大阪天満宮はたびたび戦火に見舞われます。
「大坂夏の陣」では吹田に避難して、
創祀以来の社地を失うこととなったそうで。
境内回復は神主や社家の努力があったが、
回復は果たせなかったようです。
大阪天満宮に大きな「梅園」がないのは、
こんな事情があるのだそうです。
「大盆梅展」は今年も
紅梅、白梅が咲き誇っていました。
もう一つ「天神さんと鶏」
ちなみに・・・
博多の櫛田神社は「鶏そのもの」ですからね。
なぜ鶏ではなく鳳凰なのか???
左遷された菅原道真が、太宰府へ向かう途中、
道明寺に覚寿尼を訪ねられとき、
夜を明かして別れを惜しまれていたところ、
鶏の鳴き声に出立を促されたとか。
「鳴けばこそ 別れをいそげ 鶏の音の
聞こえぬ里の 暁もがな」との道真の歌。
「鶏が鳴くから別れを急がなければならない、
暁になっても鶏の鳴かない里が
博多の櫛田神社は「鶏そのもの」ですからね。
なぜ鶏ではなく鳳凰なのか???
左遷された菅原道真が、太宰府へ向かう途中、
道明寺に覚寿尼を訪ねられとき、
夜を明かして別れを惜しまれていたところ、
鶏の鳴き声に出立を促されたとか。
「鳴けばこそ 別れをいそげ 鶏の音の
聞こえぬ里の 暁もがな」との道真の歌。
「鶏が鳴くから別れを急がなければならない、
暁になっても鶏の鳴かない里が
あればいいのに」という意。
鶏を避ける理由のひとつだと言われます。
もう一つが古代の中国や日本では、
「雷は鶏の姿をしている」
鶏を避ける理由のひとつだと言われます。
もう一つが古代の中国や日本では、
「雷は鶏の姿をしている」
と考えられていたというもの。
天安2年(858)には雷雨のなか、
北野の稲荷社の空中で二羽の赤鶏が闘ったとか。
また、万寿四年(1027)には、
御所の豊楽院に白鶏に似た雷公が落ちたとか...
天神→怨霊→雷→鶏の連想が働いて...
つまり天神信仰においては
天安2年(858)には雷雨のなか、
北野の稲荷社の空中で二羽の赤鶏が闘ったとか。
また、万寿四年(1027)には、
御所の豊楽院に白鶏に似た雷公が落ちたとか...
天神→怨霊→雷→鶏の連想が働いて...
つまり天神信仰においては
「鶏」が忌み嫌われるようになったそうです。
ちなみに酉歳の初詣に授与する絵馬や土鈴も、
鶏ではなく鳳凰がデザインされています。
鶏ではなく鳳凰がデザインされています。