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大阪城梅園に春を感じる

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大坂城の梅園に行って来ました。 梅、桃、桜と楽しめる虎次郎の庭です。  「梅だより」によると…三分咲きとか。  紅梅で日当たりがよいとすでに見頃です。 こちらにも盆梅がありました。 すでに満開です。 春はもうすでに訪れていますね。 

松と梅と天神さん

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天満宮の御紋「梅鉢」。 でも天神信仰が成立した頃には、 信仰風土の中で「松」が シンボルとされていたようです。 天満宮の創祀については 「七本松伝承」というのがあって、 当地の産土神であった 大将軍社の前に一夜にして 七本の松が生え、 夜な夜な光り輝いたとか… その報告を受けられた村上天皇が、 勅使を遣わされ真偽を確かめられた結果、 天神様ゆかりの奇瑞として創祀を命じられたと。 そこかしこに松と梅の意匠が残ります。 ふたたびの「大盆梅展」へ… 一週たつと… 梅の薫りが広間に広がっていました。 天神様=梅は室町時代の 禅僧たちの間で 広まった 「 渡唐天神伝説 」 の影響と言われます。 今年の「大盆梅展」のテーマは 「天神様と松と梅」。 天満宮所蔵の天神画像の中にも 松とともに梅が 描かれています。 「大盆梅展」で頂いた リーフレットを 参考にさせてもらいました。

安居神社に幸村のその後を探る

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大坂夏の陣で討たれたのは果たして、 幸村か…それとも家康か。 堺の 南宗寺 には「 東照宮 徳川家康墓 」と刻まれた 立派な墓があり、茶臼山の激戦に敗れたのは… 実は家康で駕籠で逃げる途中に、 後藤又兵衛の槍に突かれた。 堺まで落ち延びることができたが、 駕籠を開けてみると…という話。 で…幸村はというと、 豊臣秀頼とともに海路で 薩摩に落ち延びたという伝説がある。 絵馬も六文銭のがあった… 歴女が喜びそうなポスターもあった。 実はここ「安居神社」は、 少彦名神 (すくなひこなのかみ) とともに 菅原道真を祀るので「 安居天神 」とも呼ばれる。 道真が太宰府に左遷された前に訪ねた、 道明寺にいた伯母 覚寿尼 に会いに行く途中、 ここへ立ち寄って「 安井 」 つまり休憩したところで、 この名となったそうである。 でも幸村さん… 境内の松に 腰を下ろして 休息していたところを、 徳川方の西尾仁左衛門に 討ち取られたとか…無念。 「浪花百景 安井天神」

大阪にもあった「清水寺」

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ふたたび夕陽ケ丘界隈を… 大阪にもある「 清水寺 」。 有栖山 清光院 清水寺 といい四天王寺支院。 境内には「 清水の舞台 」もあって、 かつては大坂の街や 大阪湾をゆきかう白帆はむろん、 淡路島まで見渡せる まさに眺望の名所であったようです。 ただ下から見上げると… もろコンクリの壁 (;_;) 『 摂津名所図会 』にはしっかりと 清水の舞台が描かれています。 寺伝によると、寛永17年(1640年)に、 延海阿闍梨 (えんかいあじゃり) という僧侶が、 観音様のお告げを受けて… 京都の清水寺そっくりの寺を 作られたことに由来する。 境内の横の坂も「 清水坂 」です。 今は霊園墓地の雰囲気が漂うが、 仮金堂の横に入ると... やはり京都清水寺を思わせる 「音羽の滝」なるものが。 こちらも本家に似せてつくられたもので 「 新・音羽の滝 」とも呼ばれています。 この滝は四天王寺金堂下の 青龍池とつながる霊水とされていて 今でもこの滝のもとで、 滝に打たれる方がおられるとか… 『浪花百景』新清水 音羽瀧

天神さんと「梅」そして「鶏」

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「天神さんと梅」 大阪天満宮の 「束帯天神像」 には、 梅の枝を持つ姿が描かれるものがあります。 梅とのつながりは道真5歳の時、 庭に咲く紅梅を見て花びらで自分の頬を飾りたいと、 「美しや紅の色なる梅の花  あこが顔にもつけたくぞある」 と詠んだと伝わります。 天満宮の神紋は「梅」 そして… 「東風吹かば匂いおこせよ梅の花  主なしとて春を忘るな」 の飛梅伝説につながります。 戦国時代から江戸初期にかけて、 大阪天満宮はたびたび戦火に見舞われます。 「大坂夏の陣」では吹田に避難して、 創祀以来の社地を失うこととなったそうで。 境内回復は神主や社家の努力があったが、 回復は果たせなかったようです。 大阪天満宮に大きな「梅園」がないのは、 こんな事情があるのだそうです。 「大盆梅展」は今年も 紅梅、白梅が咲き誇っていました。 もう一つ「 天神さんと鶏 」 大門にある「 十二支方位盤 」。 よく見ると「 酉が鳳凰 」になっています。 ちなみに・・・ 博多の 櫛田神社は「鶏そのもの」 ですからね。 なぜ鶏ではなく鳳凰なのか??? 左遷された菅原道真が、太宰府へ向かう途中、 道明寺に覚寿尼を訪ねられとき、 夜を明かして別れを惜しまれていたところ、 鶏の鳴き声に出立を促されたとか。 「鳴けばこそ 別れをいそげ 鶏の音の  聞こえぬ里の 暁もがな」 との道真の歌。 「鶏が鳴くから別れを急がなければならない、  暁になっても鶏の鳴かない里が  あればいいのに」という意。 鶏を避ける理由 のひとつだと言われます。 もう一つが古代の中国や日本では、 「雷は鶏の姿をしている」 と考えられていたというもの。 天安2年(858)には雷雨のなか、 北野の稲荷社の空中で二羽の赤鶏が闘ったとか。 また、万寿四年(1027)には、 御所の豊楽院に白鶏に似た雷公が落ちたとか... 天神→怨霊→雷→鶏 の連想が働いて... つまり天神信仰においては 「鶏」が忌み嫌われるようになったそうです 。 ちなみに酉歳の初詣に授与する絵馬や土鈴も、 鶏ではなく鳳凰がデザインされています。