TAROアートピースコレクション《ノン》
G. ノン
今年3月8日から東京国立近代美術館であった
「生誕100年 岡本太郎展」では、
入っていきなりこいつが「イヤだ」と、
両手を突き出して拒絶してたのだという。
「ノン non」とは否定するということ。
さまざまな常識や権威にノンをぶつけてきた
太郎さんの意志が表現されたモノ。
今年3月8日から東京国立近代美術館であった
「生誕100年 岡本太郎展」では、
入っていきなりこいつが「イヤだ」と、
両手を突き出して拒絶してたのだという。
「ノン non」とは否定するということ。
さまざまな常識や権威にノンをぶつけてきた
太郎さんの意志が表現されたモノ。
鋭い牙を剥き、
カラダは硬い甲羅に覆われている。
この作品が制作されたのは《太陽の塔》が
大阪万博に聳えたときと同じ1970年。
大屋根を突き破ったのだけど、
《太陽の塔》はオモチャ化していく。
そして太郎はチマタの芸術家たちから拒絶される。
岡本太郎さんは時代に取り込まれながらも、
「一人ポツンと取り残されたような存在」
であったようにも見えた。
「その完成作品さえも、自ら否定する」
という姿勢は、
高度成長のイケイケドンドンの時代には
到底理解されなかったのである。
よくいろんな人に
「岡本太郎の作品のどこがいいの?」
って聞かれる。
TAROアート...
絶妙な距離感が愉しいのである。
「ダメ!」と手で制止して、
ノンは行く道をさえぎる。
おそろしげな牙をむき出しにして。
でも、どこかユーモラスだ。
ひょっとしたら駆け引きに
応じてくれるかもしれない。
けれども、
実は冷酷無比かもしれない。
どうしようか?
こうしたアンビバレントな感情を、
この作品を呼び覚ます。
単純な感情では対応できない、
異物としての彫刻。
(解説:椹木野衣)
カラダは硬い甲羅に覆われている。
この作品が制作されたのは《太陽の塔》が
大阪万博に聳えたときと同じ1970年。
大屋根を突き破ったのだけど、
《太陽の塔》はオモチャ化していく。
そして太郎はチマタの芸術家たちから拒絶される。
岡本太郎さんは時代に取り込まれながらも、
「一人ポツンと取り残されたような存在」
であったようにも見えた。
「その完成作品さえも、自ら否定する」
という姿勢は、
高度成長のイケイケドンドンの時代には
到底理解されなかったのである。
よくいろんな人に
「岡本太郎の作品のどこがいいの?」
って聞かれる。
TAROアート...
絶妙な距離感が愉しいのである。
「ダメ!」と手で制止して、
ノンは行く道をさえぎる。
おそろしげな牙をむき出しにして。
でも、どこかユーモラスだ。
ひょっとしたら駆け引きに
応じてくれるかもしれない。
けれども、
実は冷酷無比かもしれない。
どうしようか?
こうしたアンビバレントな感情を、
この作品を呼び覚ます。
単純な感情では対応できない、
異物としての彫刻。
(解説:椹木野衣)