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ナゴヤの洋館をたずねて 橦木館

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「文化のみち 橦木館」 は、 陶磁器商として活躍した 井元為三郎 が、 大正末期から昭和初期に建てた 当時の様子をよく伝える邸宅です。 ところで「 橦木( しゅもく) 」という地名。 徳川家康が名古屋城築城の折りに、 防衛上T字状 にしたことから 「撞木町」 に。 ただ戦後役所 の人が間違えて 「木へん」を使ってしまったようです。 「かねたたき」は「鐘木」とも書きますね。 約600坪に区画割りされた江戸時代の 武家屋敷町がベース となっていて 大きく区割りされた敷地に、 和館、洋館、東西二棟の蔵、 そして茶室、庭園。 さすがに個人邸宅が醸し出す 文化の薫りを、 今の世の中は 許さないムードがあります。 「邸宅」が時代とともに消えて行き、 当主が世を去るとまもなく廃墟となっていく。 実は「文化のみち」のあちこちで 「管理地」という看板が目立ちました。 幸いにも 「橦木館」 は5組のオーナーが、 文化的なイベントを開催するなどして、 「風が抜ける時間」 を持つことができたようです。 2004年から市民団体が管理、 その後1997年に名古屋市が取得し、 昨年2009年7月にオープンしたそうです。 玄関ポーチを見上げると 星型の照明 です。 まさにデザインの卓越性がみてとれます。 橦木館に残されるステンドグラスは、 為三郎さんのビジネスサロンであった証。 実は、蔵の中から 橦木館を管理運営するNPOメンバーが 2007年10月に 偶然発見したものなんだそうで、 11枚がベニヤ板で丁寧に包まれていたとか。 「戦時中に洋館から戦災を逃れるために  外されたのではと、言われていますが  この家の元の持ち主も  知らなかったそうである。」 東区を歩こう!「橦木館のステンドグラス」 より 洋館1階南側の部屋は応接室、 北側の部屋はかつては食堂で、 リニューアル後はレストラン 「カフェ・ラ・リーシュ」 になってます。 ムクドリのつがい が対称形に配置されたもの、 橦木館のメインともなるステンドグラスです。 階段脇の化粧室入り口上部アーチにあるのが イチョウの木の枝にとまるつがいの 青い鳥 。 この色づかいと意匠が 「アールデコ」 っていうのか。 玄関ホールも 「橦木倶楽部」 として オープンしていた頃はこんな感じ。 華やかな橦...

ナゴヤの洋館をたずねて 双葉館

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ナゴヤにも洋館が集まる地域が。。。。 「文化のみち」ってとこで 名古屋城から徳川園にいたる。 その拠点が 「文化のみち 双葉館」 。 日本の女優第一号の マダム貞奴 の 旧川上貞奴邸 。。。 「オッペケペー節」で 有名な川上音二郎の 奥さんだったという 経歴を持つ女性。 音二郎が他界した後、 「電力王」 と言われた 福沢桃介 と 共に暮らした家が 「双葉館」 がそれです。 「名古屋電燈(株)」 の取締役に就任した 福沢桃介が木曽川での水力発電をために、 事業パートナーとして貞奴を呼び寄せ、 ここで事実上の夫婦生活を送ったところ。 赤い瓦葺きの屋根 は、 政財界人や文化人の集まるサロンでした。 室内の装飾も 贅のかぎりつくされて、 ステンドグラス がいたるところに。 当時新進気鋭の 「あめりか屋」 に 設計を依頼しただけあって、 建物内部に驚くべき電気装備が施されています。 当時では画期的な 自家発電装置 があり、 スイッチを切り替えるとで、 「こうこう」と明りが灯ったそうです。 「電力王」の館ここにあり   って感じやったのでしょう。 創建当時は、文化のみちエリアの北端の 「東二葉町」にあったそうですが、 2000年2月に 「橦木町」の地へ 移築復元されて 新たな観光スポットになりつつあります。。 本格的な西洋館の背面に和館がついていて、 明治時代に流行した和洋館並列型住宅から、 大正期の洋館に伝統的な和室を 取り込んだ形に移行していく形式を この「双葉館」はよく伝えていました。 和室は純和風ですが 電気設備はばっちりのようで、 廊下には一斉操作できる スイッチがみられました。 それでは。。 これからまたしばらくの間、 明治村に負けない ナゴヤの洋館を 紹介していきたいと思います。 よろしければおつきあいください        (・ω・)v

なごやめし ひつまぶし⇒きしめん⇒ミソカツ

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  ナゴヤに行ったけど (>_   グルメ旅行ですから (>_ 「ひつまぶし」・・・・・ 「あつた蓬莱軒」 、 「しら河」 ・・・・ そんな定番のお店があることは 知っていたけどホントどこも行列ばかり。。。 ナゴヤなんども行ってるけど初めて食べる。 でも「ひつまぶし」って 「あつた蓬莱軒」の登録商標なんだって。 美々卯の「うどんすき」みたいにフツ~に 使われてると思うけど。。。 「ひつまぶし」 が生まれたのは、 うなぎが人工養殖されていなかった時代のこと。 型が崩れて捨てるかば焼きが多く、 ある時「もったいない」と、 型崩れのうなぎをちぎってご飯にまぶしたところ、 客に大受けしたのが始まりやといわれています。 虎次郎は名駅にある 「名鉄百貨店」 の名店街へ。 いざ 「まるや本店」 へ・・・ でもここでも夜8時を過ぎているのに、 65分待ち。。。。おひとりさまでも・・・? なえそうな心をコーヒーショップでなだめつつ。 来ました「ひつまぶし」です。 特上だから一尾半入ってるからタップリ。 鰻といえば肝吸いをつけた (・ω・)v テーブルにあるパンフを見ると・・ 【一膳目】…そのままお茶碗に。 【二膳目】…お好みの薬味を添えて。 【三膳目】…お茶漬け用のおだしを多めにかけて    ごゆっくりお召し上がりください。 「ごゆっくり」と言われてるのに がっついた虎次郎(>ω<)v でもさすが一尾半だ四膳目はまた元にもどる。 おだしはピンポンで呼び出せば 熱いのがタイミングよく運ばれてくる。 ここの奈良漬は愛知県産の 「かりもり」 が使われてる。 尾張地方で清須市一帯が産地の青瓜のこと。 サクサクとしして美味しかった。 「きしめん」・・・・ 信州に行くときに駅のホームで立ち食いしたのが 思い出される。。。やっぱり冷やしがいい。 駅構内の 「 驛釜きしめん」 に入ると、 地元の人は朝から「味噌きしめん」を・・・ 虎次郎は 「冷し海老おろしきしめん+天むす」 を。 うどんを平らにしたようなきしめん。。。 そのルーツはキジ肉を入れた麺?? 尾張藩祖以来の伝統料理だったのが、 それが油揚げにとって替わったのとか。 紀州徳川が尾張徳川に平たい麺を献上したのが、 「きしゅうめん」「きしゅめん」     「きしめん」…???? 麺生地を平たく伸ばし、 竹筒で抜いて碁石のように丸くし...

なごや、、、かなり矢田・・・・

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最後にドラゴンズ地下鉄という オプション(−_−#) これが大往生(>_ どんなに「ひつまぶし」がウマくても。 モーニングに「きしめん」・・・ 「天むす」付けても・・・ 土日エコ切符 がお得でも・・・ なんやっていうねん。 そんなにいじめてウレシいんか??? くそ〜 はち丸 め・・・・ 名古屋城は改めて攻め落とすぞ! ところで9月はお外でやりませんか???

福岡をたつ 関門越え

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門司港から先はかつての貨物線を走る 観光列車で関門橋を見上げる地点へ。 終点 「関門海峡めかり駅」 のそばには、 巨大なタコが打ち上げられていた。 手前のタコの足は水飲み場になってる。 関門トンネル人道 で ぐるっとまわって戻ってくるってのを、 レンタサイクルのおじさんからは 勧められたのだが・・・ ちなみに人道は徒歩はタダで 自転車は20円なのだらしい。 せっかくだから目と鼻の先の 下関唐戸 までの船旅を。。。 海上からの関門橋はやはり絶景だ。 下関につくとやはり「ふく」のオンパレード。 「ふく茶漬け」ってのにも心惹かれたが。 「焼きカレー」 食べたばかりだし。。。 朝からピッチをあげ過ぎた虎次郎。 すでに相当ダウン気味であえなく撤退となる。 洋館スポットも遠目にバスに乗り込み下関駅へ。 向って左側の2階建ての建物が 「下関南部町 (なべちょう) 郵便局」 、 向って右側の3階建てが 「旧秋田商会ビル」 。 山口県の県庁所在地は山口市だが、 商業的には 「下関市」 が活気があるようだ。 バスのシートも「ふく」たちが躍る。 下関から2駅で新幹線の止まる「新下関」。 きっとこのルートが快適に決まってる。。。 と思いきや下関で50分待ち、 さらに「新下関」での 新幹線の待ち時間も さらにプラス1時間だ。 暑さのなか耐えられずにまた福岡に戻る。 切符を買うとき新幹線の乗車駅に 「小倉」 と 「新下関」 の二つが出ていたは、 こういうことか。。 精算してもらった小倉駅の窓口で、 ちょっとグチってしまった。 「新下関のボタンを   小さくしておいてくれれば」 と。 なぜか一度越えた関門をトンネルで戻り、 新幹線でまた越えるってことになった。 右往左往と本州と九州を行ったり来たり。。。。

福岡をゆく 博多の総鎮守の「お櫛田さん」

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ちょっと間があきましたが 「福岡をゆく」の続きを。。。 博多と言えば 「祇園山笠」 ですよね。 オールスターの1週間前だったんで、 山笠の疾走感は味わえませんでした。 せっかくなので「山笠」が年中飾られている 博多の総鎮守の 「お櫛田さん」 に行ってきました。 「山馴らし」と「追山」というのでは、 櫛田神社正門より浜側に10メートルほどの 山留めから出発して、 境内の桟敷席に取り囲まれた清道を回って 「櫛田入り」 を奉納、 そして境内を出て国体道路に進むのだそうです。 そういうえば、ゴールデンウィークに 「博多どんたく」 には遭遇したことがあります。 この「どんたく」の母体は 「博多松囃子」 。 正月15日に福岡藩主への 年始の祝意を示し福博の町を練り歩く行事がルーツ。 現在では 「どんたく」パレードの先頭に見られます。 仙厓 「松囃子図」 (福岡市美術館所蔵) こちらは正門天井にある 「えと恵方盤」 です。 大晦日に翌年の恵方に変えるというもの。 今年の恵方は 庚 (かのえ)の方位なので、 「 西微南 (にし・びなん)」の 方向に針が向いていました。 拝殿の破風にある 風神雷神の 木彫が実にユニーク。 博多で 暴風雨を 起こさんと 雷神が 太鼓をたたい て風神を誘っています。 でも 風神はイヤイヤ と言って 「あっかんべー」 して応じない・・・ ユーモア溢れるのは博多っ子の 気質を表わしていると言われているそうです。