甲子園ホテルへ① ライトを受け継ぐもの
「東の帝国ホテル、 西の甲子園ホテル」 と並び称されたといいます。 日本に残る数少ない ライト式 の建築… 「 山邑邸 」の次はココと。 左右対称の塔には日章旗とともに。 「 武庫川女子大学 甲子園会館 」 として、学園旗が翻っています。 女子大学のキャンパスなので、 事前に電話申し込みし、 見学時間に合わせてガイドさんが 案内してくださりました。 開業当時のことは、のちほど。 1944年には 川西航空機 の施設に、 その後 大阪海軍病院 として接収。 周辺の空襲は激したかったのだが、 ここは焼け残りました… 「アメリカ人にとって アメリカの生んだ巨匠 フランク・ロイド・ライトの 面影を残す建築に、 焼夷弾を向けることが できなかったのだろうか。」 と、武庫女の 三宅正弘 さんは、 書に記されていますが… ロイドの愛弟子であった 遠藤 新 (えんどう あらた) さんの設計。 今は明治村に移築された、 ライト式建築の代表格 「 帝国ホテル 」との共通項… 山邑邸は、 清酒「 櫻正宗 」の蔵元の 山邑太左衛門さんですが、 遠藤新は山邑さんちの娘さんと、 大学で同級生の夫人だったそうです。 そんな縁もあったのかもしれません。 帝国ホテル時代からライトを 支えたもう一人が 南 信 、 彼は甲子園ホテルの強度計算を 受け持って遠藤をサポートします。 帝国ホテルで知られるライトですが、 同ホテルの常務取締役で 当時のホテル界の 第一人者と言われた 林 愛作 ともに、 完成前に涙をのんでいます。 相当の予算オーバー、工期の遅れ、 設計変更の嵐などなど、 仕事としては合格点を もらえるものではありませんでした。 ライトとともに林は、 建築途中で解任されています。 林愛作は甲子園ホテルを、 「客は日本人六七分、 外人三、四分位と思つてゐます」 と、 日本人客を想定していました。 「ホテルに残る回転扉の “おす” も その表れだと感じます」と、 ガイドさんが教えてくれました。 甲子園ホテルが開業したころは、 日本中でホテル建築ラッシュ だったとか… ホテル開業の新聞記事 「このホテルは阪神電車の尻押しで 前後十三年間も 帝国ホテルの常務取締役として 万事を切り廻してゐた 林愛作氏の経営で」とありました。 そ...