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1970EXPOユニコレ㉘ ワコール・リッカーミシン館〜もうひとつのタイムカプセル

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ワコール と リッカーミシン の共同出展、 愛がテーマだったパビリオンでは、 性の神秘を描いた映像が流れ、 お兄さんとお姉さんがキスする… 「初めて女性の動く乳房を見て、  ムズムズして身体に変化が起こり、  友だちに話したら「お前もか!」って。」 嘉門達夫 さんは万博に行ったら、 まずワコールリッカーへと向かったとか。 ワコールコーナー は、 透明なアクリル板と鏡、 ハーフミラーを組み合わせた迷路。 リッカーミシンコーナー は、 ボビンの模型 が音楽や照明と 一体になって動き、リズミカルな 調和を印象づけていたとか… ユニフォームの写真はあまり 残されていないのですが、 コスモスタイル のロングコート。 こちらはステージでの出で立ち。 パビリオン前でポーズを 決めるホステスの姿。 パビリオンは“ ヤジロベエ ”の原理を 応用した円錐形の建物の上に、 鋼管の骨組みに白いビニールシートを 張った円形屋根が、 直径 60 センチメートルの パイプ 1 本で支えられていた。 台風や地震など自然の力が加われば、 重りが揺れ尾根とバランスをとる… 耐震でないが、 免震構造の実験的建物 でもあったとか。 ワコールは1967年に、 京都駅近くの新幹線車窓 から 見えるところに新本社が竣工した。 「 世界のワコール 」との確信を持って、 この位置に建設したという。 リッカーミシンと共同で パビリオンでは、 「 万博唯一のヌー ド」との 触れ込みで展開、 2億円ものPR費用 を注ぎ込んだ。 その効果は絶大で万博の前年に、 売上高100億円の大台 を突破した。 ワコール本社敷地内にEXPO 70の もう一つのタイムカプセル があった。 2000年11月に開缶されたときに、 ワコールの創業者 塚本幸一 さんの、 「 タイムカプセルに寄せ て」 が取り出されました。 「ワコールは、単なる営利主義で  創業されたのではない。  生かされ与えられた人生を  世のため人のために  何かをつくさんとして  始められたのであり  事業を通じて人間社会の  生き方を研究した結果、   相互信頼の基調が人間社会にとって  一番大切である ことを、  私たちは  歴史と伝統の中に作り上げて来た。」 再び埋設され、 2030年に開缶されるとか…

1970EXPOユニコレ㉗ 松下館とタイムカプセルと和装

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展示物としての 世界最初の"タイムカプセル"は、 1939 年の ニューヨーク万国博覧会 でした。 松下館 メイン展示物 の " タイムカプセルEXPO '70 "、 企業イメージに繋がる製品や 技術展示でなく、 壺状のタイムカプセルと 収納物を並べるだけ… ちょっと長くなります… 1970 年4 月 16 日朝日新聞の記事 「各国の展示館とは対照的に、  企業館はきわめて無国籍的である。 (中略)技術的・芸術的エネルギーが  感じられる企業館はまだよい。  しかし安っぽい  “未来館”を自賛する館や、  仕掛けばかりが仰々しい   “宇宙旅行”が売りものの館は、  いみじくも  無国籍者の白痴性を露呈 している。」 今だと物議を醸し出す記事だが、 鉄鋼館、みどり館、 せんい館、 リコー館、 タカラ・ビューテイリオン などは、 " まだよいとする "ともあり、 相当なぶった切りです。 『観客がとらえた日本万国博覧会  -実態調査報告書-』にある 万博開催後の来場者アンケートでは、 「 建築で最も印象に残った展示館 」は、 国内館52 館のうち 1位が松下館 。 パビリオンの設計を手がけたのは、 建築家 吉田五十八さん で、 天平の面影を伝える堂宇を中心に、 前庭には池を、周囲には竹林… お手本は  奈良・ 中宮寺 なのです。 池にかかった長い橋で建物に入ると、 ぼんやりとした照明のなかに タイム・カプセルEXPO'70が展示。 鈍い金属色の球体の台座には 「 五千年後にひらく球 (たま) 」 の文字がみえ、 周囲の壁面には金箔が貼られ、 グラスファイバー原理応用の "光の花"が幻想的に揺れていた と… 松下電器生産技術研究所が設計、 久保田鉄工の協力で製作 されたもので、 海外のは機能的な砲弾型や扁平型だが、 " 壺" を連想させる形状にしたのは、 日本の伝統文化の意匠を意識したから。 球形であることは内外圧が均一で、 構造力学的に最も安定したカタチ 。 収納物は広く一般に募集されました。 “ あなたはどんなものを タイムカプセルに 残すべきだと思いますか? ” " 5000 年後の人類へ簡単な  メッセージをお寄せください "...

1970EXPOユニコレ㉖ 自動車工業館のシルバーメイツ

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ライト・グリーンが すがすがしい合服は、 長袖のニット素材のハイネック、 銀色のジャンパースカート 。 銀色のキャップとロングブーツで コーディネイト… 同色の キュロットスカート 、 ウエストは シルバー・ベルト 。 夏服は半袖のシャツブラウスで、 ライト・グリーンの帽子に 白色のハイソックスと 銀色のパンプス 。 活動的で若々しさがあふれた デザインとなっていました。 ホステスたちは、 " 自動車館シルバーメイツ " と呼ばれたとか… ホステスへの応募動機… 学校を出てすぐに平凡な OLになるのはつまらない とか、 結婚して家庭に入る前の 青春の想い出 にとか、 1970年代の女性"はたらく"は、 現代と隔世の感があります ね。 得意な英語を生かして、 自分を試してみたい。 外国人に接して 国際感覚を身につけたい。 ただ現場の状況は少し 違っていたようです… 「記念切手はどこで売っているのか」 「京都までの道を教えて」 、 二重三重の人に囲まれる。 ホステス= “暇な女の子” とも 言われていたとか。 "花子交通システム" と名付けられた未来の 都市交通システムの体験、 交通ゲーム広場では、 5メートル間隔で縦横6本ずつ 走路によってできていて、 2人乗りのミニカー7台が バッテリーで動いていました。 高さ12メートルの銀色のオブジェ、 " エンジン楽器 "が目を引く存在。 車60台のスクラップ部品から 作られていたそうで、 作家の 安部公房 の脚本による 勅使河原宏 監督の「 1日240時間 」が 上映されたそうです。 交通ゲーム解説にはこうありました… 「無謀運転で相手を  追いこそうとしたり、  禁止区域にはいろうとしても、  自動車は自動的にとまってしまう。」 今は安全運転技術は各社が競って 開発しているが… 事故のない交通システムは、 50年経って完成したのか… 2025年の関西万博では、 専用レーンを専用バスが 自動運転されるというが…