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ハマの洋館めぐり 露亜銀行横浜支店

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ハマの洋館は再活用されているものが多い。 露亜銀行横浜支店であった建物は、 「ドイツ領事館」、「入国管理事務所」、 そして「警友病院別館」と長らく活用されたあと、 ごく最近にリノベーションされとかで、 ブライダル施設 となっていました 近代日本の幕開けは銀行業務は、 当初 外国銀行によって支えられていたようです。 露亜銀行の前身「露清(ろしん)銀行」は、 1898年(明治31)に横浜支店を居留地に出し、 1900年には神戸にも支店を開設したそうです。 露清銀行は、帝政ロシア・フランス・清国の 三国資本により設立された国際合弁銀行だそうです。 帝政ロシアの極東政策に関与していたこともあって、 1904(明治37)年2月の日露開戦で、 日本国内の露清銀行各支店は閉鎖。 横浜支店もこの年の2月10日閉店したという。 こちらからは La Banque du LoA のサイトより かつての姿を・・・ 半円アーチ窓 エントラス部分に施された 三角形のペディメント イオニア式円柱 かつての円柱の上部だろうか・・・ 「 露亜銀行横浜支店 」 →ドイツ領事館→法務省横浜入国管理事務所 →警友病院別館 → La Banque du LoA (ラ・バンク・ド・ロア) 建築年:1921年(大正10) 改修年:2011年(平成23) 構造:鉄筋コンクリート造り3階 設計:バーナード・M・ワード 所在地:横浜市中区山下町51-2 【横浜市指定文化財】 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。

ハマの洋館めぐり 横浜市開港記念会館

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道路に面した隅にはそれぞれ四角形のドーム、 角には「 ジャック 」の愛称の時計塔、 八角ドームを上げた構成は、 多面性を持った表情の中に落ち着きを見せる 「 横浜市開港記念会館 」の前に立てたのは、 実は二日目の夕刻を過ぎていた。 赤いレンガに白い花崗岩のアクセント、 辰野式フリークラッシック と呼ばれる建物は、 日が陰りつつある微妙な時間でも なかなかの風合いを見せてくれていた。 洋館をカメラに収めるには、 太陽がちょうど真上にある頃が影が出ずに いいのだが…なかなか一日や二日では、 グットタイミングに訪れることはムズカシイ。 日に照らされる面がベスポジとは限らないから... それと... デーゲーム観戦の前後だと内部見学に 間に合わなかったりするから。。。 欲張らずじっくりと見て回るには、 野球なしの日をプラス1日加えねばなるまい。 かつて「横浜町会所 (まちかいしょ) 」 があったところは横浜商工会議所発祥の地。 そして 岡倉天心 誕生の地でもある。 竣工してまもなく関東大震災に見舞われる。 ステンドグラスはそれ以降のものなのだが、 なかなか味わいのある意匠で必見なのである。 1989年にはドームが復元されて、 ほぼ建設当初の姿に甦って 独特の横浜の風景を創っている。 「 横浜市開港記念会館 」 開港記念横浜会館→ 建築年:1917年(大正6) 構造:煉瓦造り2階建て、地下1階 設計:福田重義(原案)、横浜市営繕組織 所在地:横浜市中区本町1-6 【国・重要文化財、近代化産業遺産】 横浜の歴史的建造物ポストカード 「 横浜市開港記念会館」 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。

ハマの洋館めぐり 横浜市外電話局

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チョコ色のビルは今は「 横浜都市発展記念館 」と 「 ユーラシア文化館 」ってのになってる。 もともとの設計は大正モダニズムの大建築を 考えていたようだが、折りしもの大震災で、 敷地が削られるなどしたが... かえって落ち着きを見せるビルとなった。 1階壁面には要石 (かなめいし) を頂いた 半円アーチ窓が連なる。 1階以上の縦長の窓との組み合わせがキュート。 実はチョコレート色のタイルの外観は、 逓信省 (のちの郵政省) の定番だったという。 各階の高さが少しずつ異なるのは、 電話局としての機能からで、 電話交換器があった3階は 少し天井が高いのだという。 屋外にはガス管と煉瓦下水道管の 実物があったりして、 近代化のヨコハマを感じさせる スポットでもある。 「 横浜市外電話局 」 →横浜都市発展記念館・横浜ユーラシア文化館 建築年:1929年(昭和4)10月 構造:鉄筋コンクリート造り4階建て、地下1階 設計:逓信省営繕課(担当:中山広吉) 所在地:横浜市中区日本大通り12 【横浜市認定歴史的建造物】 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。

ハマの洋館めぐり エキスプレスビル

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横浜貿易協会ビルに並んで、 開港広場の広い交差点に面するのは、 「エキスプレスビル」というオフィスビル。  すっきりと縦長の窓が配され、 2・3階の縁取りと屋上の軒周りといった 水平ラインが落ち着きを構成している。 ケヤキの葉が散った晩秋になれば、 フォルムがもっと際立つらしいが、 秋に訪れるとなると虎が頑張ってるってこと。 再び横浜に訪れることがあるのか?? JAPAN EXPRESSの文字が港町そのもの。 1階には玄関を正面に見て左にWEST、 右にEASTというカフェがある。 「 エキスプレスビル 」 建築年:1930年(昭和5) 構造:鉄筋コンクリート造り3階建て・地下1階 設計:川崎鉄三 所在地:横浜市中区海岸通り1-1 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。

ハマの洋館めぐり 横浜貿易協会ビル

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開港広場の交差点で感じた風は、 いかにもミナト横浜そのものだった。 L字型の建物の2階の窓の上に 「社団法人 横浜横浜貿易協会」の文字。 明治時代に外国商館や外国商船を相手に 不利な取引を強いられていた横浜の商人が、 その結束を固めるために設立された団体がココ。 外壁の黄褐色のスクラッチタイル張りは、 この辺りに建てられた建物に続き、 映画セットのようなムードも漂う。 1階のレストラン「 SCANDIA 」は、 デンマーク料理を出す店で、 店内には北欧神話などが刻まれる レリーフなどなど見どころが多いらしい... デンマークの伝統食「 スモーガスモード 」とやら、 いつか楽しみたい(・ω・)v 「 横浜貿易会館 」 建築年:1929年(昭和4) 構造:鉄筋コンクリート造り3階建て 設計:大倉土木(現大成建設) 所在地:横浜市中区海岸通り1-1 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。

ハマの洋館めぐり 横浜海岸教会

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開港広場の近くに建つ青空に映える教会は、 1872年(明治5)に 日本初のプロテスタント教会 として 開かれた「横浜海岸教会」。 その大きさや形から 「聖なる犬小屋」と呼ばれた 日本基督公会の発祥の地である。 前身の「 石の会堂 」は震災で倒壊したが、 クリスチャンであった  雪野元吉 は、 無償でその設計を引き受けたと伝わる。 鐘楼に下がる鐘はかつての「 石の会堂 」のもので、 結婚式には新郎新婦の年の数を合わせた分だけ、 開港広場にその音色を響かせているのだとか。 礼拝が行われていたのだが、 ハマスタの開門の時間を過ぎていて、 礼拝に会することができなかった。 木立のなかに羽ばたく翼にも似た姿、 全体に鋭角的なラインが取られているが、 どこか人を迎え入れる温かみを感じさせる。 「 横浜海岸教会 」 建築年:1933年(昭和8) 構造:鉄筋コンクリート造り3階建て 設計:雪野元吉 所在地:横浜市中区日本大通8 【横浜市認定歴史的建造物】 横浜の歴史的建造物ポストカード「横浜海岸教会」 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。

ハマの洋館めぐり 横浜英国総領事館

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開港広場に面したところにある 「横浜開港資料館旧館」は、 1931年(昭和6)にイギリス工務省の設計。 当時の横浜には多くの領事館が建てられていて、 外交舞台はまさしく横濱の地にあった。 ペリーが来航して結ばれた日米和親条約は、 この横浜開港資料館の中庭にある 玉楠の木の下 で行われたと伝わる。 現在の木は関東大震災で 焼け残った根から再生したものだが、 今は見事な玉楠の木に成長している。 大きな玉楠の木を前にして正面玄関。 二本の コリント式円柱 と、 八角形の文様があしらわれる半円アーチ。 英国人のために英国人が設計した建物は、 多くの資材を英国から取り寄せたのだという。 18世紀に英国で流行していた ジョージアン様式 なのだといわれる。 蔦の絡まる壁面は人造石で仕上げられていて、 3階の窓はミナトらしい丸窓が見える。 記念ホールには関東大震災の犠牲になった 領事館員らを悼む銘板があった。 「 横浜英国総領事館 」 →横浜開港資料館旧館 建築年:1931年(昭和6) 構造:鉄筋コンクリート造り3階建て、地下1階 設計:英国公務省 所在地:横浜市中区日本大通3 【横浜市指定文化財】 横浜の歴史的建造物ポストカード「横浜開港資料館旧館」 ※建物名をクリックすると グーグルマップ「 虎次郎の横浜洋館まっぷ 」が見れます。